『 Porker Face 』 のあのPV がなぜか気になって、
動画をさがしてたら
このAcoustic Liveを発見。
彼女のポテンシャルの真髄をみた。
これを見て彼女の才能にひれ伏したよ。
(サイト見失いそうになったのでここにメモ!)
http://www.youtube.com/watch?v=nwdXnlvUe3I
だってこんな、おうちの中でのリラックスシーン…な感じで弾いてるのに
才能のボリュームがいきなり
120% ⇒ 50% ⇒ 25% ⇒ 500%
みたいな感じで変動するんよ。軽々と。
もーあなたどこまで底なし??!!!?
ひー!!そんなアレンジ!詠唱!!ハミング!!フリーダム!!!(?)
ということで
えっれー驚いた。感銘をうけました。
すごい。
セクシーなダンスミュージシャンというのは、単なる一部分なのね。
なんかありあまる才能で、どうとても出来るけど、
さぁ何しよっかな。
っていう感じがするのよ。彼女。
で、
人ってこんなの見たいんでしょ?じゃやるよ。
って
こちらの興味を引くものも用意するエンタテイメント性。(好き嫌いはあれ。)
この先、このもてあまし気味にも見えるくらいの才能を
彼女がどういう方向に向けるのか
ちょっと興味ある。
いろいろ『 Porker Face 』 の Acoustic Live 動画があるんだけど、
なにせ簡単に弾けて歌える人なので
何回もプロモーションでやってるせいか、飽きがち+ゆるめにやっちゃってるのもあります。
(才能ボリューム50〜90%、一瞬100〜120%くらいで)
その中でも、この動画は
彼女の集中力と柔軟性が高レベルでまんべんなく出ているのでオススメです。
来たよ、久々に来た。
まず驚きなのは
「 歌詞が聞こえなくても、あり 」だということ。
音楽がステキすぎて、ぜんぜん問題ないんだよ。聞こえなくても。すげー。
そしてこの音楽。
One&Only、彼らだけが生み出してる音楽。
そしてボーカル野田洋次郎のファッション。
中性的。でもそれが気にならない。
彼が性差を超えたところから選択しているので、何の違和感もない。しっくりしてる。
そしてPVの作りと歌詞。
思わずにやりとしてしまう。
大いに興味を持って
他ナンバーを聞きまくり、ウィキ検索もし、歌詞検索もしました。
すごい。どこ開いても才気だってる。超ワクワクする。
一個前の記事と関連させるなら、
彼らの良いと思った音楽ジャンル( AからX )の引き出しが多い上に
変幻自在、伸縮可能、
いつどこで何をどう選んでアレンジして出してくるか分からない!!
お、も、し、れーーーーー!!!!
そしてさらに唸らされるのは、
まさに野田洋次郎だけが見て、感じている世界観を表した歌詞。
年下の彼の書く歌詞に、さとされた。 希望が持てた。(by「最大公約数」)
” いつかの楽しみにとっとこう ”ってそういう考え方があったかー!!
すげー。すごいよ、のでぃー!
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/321049/Y029785
そしてね、もう思いっきり ” きゅん ”、としたのはこれ。
ダメだもう。行くよLIVE。
味噌汁’Sに会いたいよ。
そしてさらに。
冷静に考えてすごいのは、
この柔軟性とオリジナリティにあふれた楽曲を支える、
彼らの腕前の高さなんだよね。
野田氏の楽曲を弾きこなせるのは、
歌詞でも曲でも、崩しても崩れないのは、
基礎的なモノがめちゃくちゃしっかりしてるから。
(音大出身のドラムとベースというのでも納得。)
あーなんかふざけるのにも基礎が大事なのだね、と勉強してしまったわ。
まず驚きなのは
「 歌詞が聞こえなくても、あり 」だということ。
音楽がステキすぎて、ぜんぜん問題ないんだよ。聞こえなくても。すげー。
そしてこの音楽。
One&Only、彼らだけが生み出してる音楽。
そしてボーカル野田洋次郎のファッション。
中性的。でもそれが気にならない。
彼が性差を超えたところから選択しているので、何の違和感もない。しっくりしてる。
そしてPVの作りと歌詞。
思わずにやりとしてしまう。
大いに興味を持って
他ナンバーを聞きまくり、ウィキ検索もし、歌詞検索もしました。
すごい。どこ開いても才気だってる。超ワクワクする。
一個前の記事と関連させるなら、
彼らの良いと思った音楽ジャンル( AからX )の引き出しが多い上に
変幻自在、伸縮可能、
いつどこで何をどう選んでアレンジして出してくるか分からない!!
お、も、し、れーーーーー!!!!
そしてさらに唸らされるのは、
まさに野田洋次郎だけが見て、感じている世界観を表した歌詞。
年下の彼の書く歌詞に、さとされた。 希望が持てた。(by「最大公約数」)
” いつかの楽しみにとっとこう ”ってそういう考え方があったかー!!
すげー。すごいよ、のでぃー!
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/321049/Y029785
そしてね、もう思いっきり ” きゅん ”、としたのはこれ。
ダメだもう。行くよLIVE。
味噌汁’Sに会いたいよ。
そしてさらに。
冷静に考えてすごいのは、
この柔軟性とオリジナリティにあふれた楽曲を支える、
彼らの腕前の高さなんだよね。
野田氏の楽曲を弾きこなせるのは、
歌詞でも曲でも、崩しても崩れないのは、
基礎的なモノがめちゃくちゃしっかりしてるから。
(音大出身のドラムとベースというのでも納得。)
あーなんかふざけるのにも基礎が大事なのだね、と勉強してしまったわ。
「亡念のザムド」というアニメが、
ぱっと見すごいハイクオリティだったので
2回ほど見てみたところ。
いろいろな面で、ナウシカやラピュタとダブる。
あら、これラピュタやん、洗濯物が船の中に干してあるし!!
あ、エンジン機関室のじいさんもいる!!
とか、まぁ、憧れの作品とかがにじみ出てくるのは、
クリエイションにはあることなので、
最初は元ネタに気づいた面白さの方があったんだけど、
あまりに。
あまりに、元ネタであるアニメとのシンクロが頻発連発しているので、
これ、私だけの錯覚じゃないよね…?(汗)と思い
ネットで検索してみたところ、やはり
パクリじゃん!という怒りの文章があった。
私は知らないので気づかないのだが
エウレカセブンというアニメの模倣も入っている模様。
で、まぁ、単純に考えたら、パクり許せん!!駄作じゃ!!という感想になるのが
当たり前だったりするんだけど、(私もいったん感じた)
今回なぜそう許せないと感じるのか?その奥にある感情が分かったので
詳しく書いてみる。
そいで、それが分かったら
この「亡念のザムド」の作り手の感覚みたいなものも理解できたのでそれも紹介。
例えば、
「亡念のザムド」のヒロインが、小型の1人のり飛行機みたいなものを
空中でホバリングさせたあと、上に向かうシーンがある。
それ、ナウシカを何回も見てて、みる人が見たら、
おんなじだ。
と感じるのです。
アニメというのは人間が作るもので、
しかも、1秒に何十枚、という制限の中、
実写であればA地点からB地点に行く、という動きの全てを
フィルムの中に入れられるところが、
アニメでは
動きの中の、ここと、この動きと、この角度、という風に
取捨選択して選んでいくわけなので
そこに、その作り手のセンスなりこだわりなり、その作品への世界観や哲学がにじみ出るわけです。
で、受け手は、無意識に作品を好きになると同時に
作り手のその取捨選択が好きだと感じるわけです。
で、その取捨選択って。
ものすごーーーーーーーーーーーい
努力と 試行錯誤と 挑戦と 失敗と
修正と 再挑戦の結果
なワケですよ。
これはクリエイションしたことある人なら分かる。絶対。
で、それを、
自分のオリジナルなモノの何の積み重ねもなしに
サクッと他人が使っていいのかって話です。
分かりやすく例えれば、
宮崎駿さんが今まで生きてきた中で自分がよいと感じたもの、AからXまでを
ミックスして取捨選択して、新しい「あ」という表現を作り出しているとしたら
(これを受け手は好きだと感じてファンになる)
「亡念のザムド」は
ここはA:ナウシカ、ここはC:ラピュタ、ここはV:エウレカ、というように
そっくりそのまんま借りてきてパーツパーツで使い分けてるだけ、ということ。
オリジナルの取捨選択や構築にあえいだことがある人は、
それがどれだけの苦労かが分かるので、
そのままを借りているという行為が、パクりじゃん!!(怒)と許せなくなるのだと思う。
たとえば
宮崎駿さんは、自分の企画を通すまでに13年かかったと聞いたことがある。
自分のセンスを思う存分出すまでに13年。
それに対して、リスペクトはないんか!??!
ちゅーことです。
でね、
センスとパクり、ナウシカとザムドの違いが分かったらね、
「亡念のザムド」の作り手の感覚が理解できた。
たぶん、「亡念のザムド」の作り手の人達って
うかつ、なんだと思う。
そして、浅い。
あの、飛行機がホバリングしてから上に行くワンシーンに
これだけのクリエイターの結晶が埋まってるってことが分かってないんじゃないかナァ。
単純に、ジブリが大好きで、エウレカでの経験も楽しくて、
大好きなもの全部使って作品つくっちゃおう!!
みたいな。
無邪気に、模倣で作品作っちゃった!!
みたいな。
でも借りもののパーツでオリジナルっぽそうなものを伝えようとしてるから
ぜんぜん分かんないわけです。
オリジナルが未消化なまま、パーツで説明。
さらに目に見えるものは借りモノだから新鮮味もなく。驚きもなく。
でね。
そういうことが分かったので、怒りとかはなくなって
あ、そう、ははは。は。ってなんか虚脱しちゃったよ。
無邪気なパクりに怒っても仕方ないべ。
もし悪意の儲け心だとしても、
【 この作品はつまらない もしくは残念 】 という私の中の結果だけは
さんぜんと輝いているので同じことです。
絵や動きがハイクオリティだからってオリジナルか、深いか、とは限らないのだ。
なぜその絵や動きを選んだか、の方が
伝えるためにはとても大事。(=表現の肝)
+++++++++++++++++++++++++++++++++
追記:
上の点で、残念だしつまらないなーとは思うけど、
サントラはよいです!
オープニングもエンディングも曲はハイクオリティ。
どっちも好きでした。
あと、アニメの色彩の使い方のセンスなんかはイカしてますv
キャラの顔造詣もうまいし。
あぁ〜だから、あれかね、絵がダントツにめっちゃ好きな監督なのかなぁ。
世界観とストーリーセンスが借りモノ、という点だけが、残念す。
ぱっと見すごいハイクオリティだったので
2回ほど見てみたところ。
いろいろな面で、ナウシカやラピュタとダブる。
あら、これラピュタやん、洗濯物が船の中に干してあるし!!
あ、エンジン機関室のじいさんもいる!!
とか、まぁ、憧れの作品とかがにじみ出てくるのは、
クリエイションにはあることなので、
最初は元ネタに気づいた面白さの方があったんだけど、
あまりに。
あまりに、元ネタであるアニメとのシンクロが頻発連発しているので、
これ、私だけの錯覚じゃないよね…?(汗)と思い
ネットで検索してみたところ、やはり
パクリじゃん!という怒りの文章があった。
私は知らないので気づかないのだが
エウレカセブンというアニメの模倣も入っている模様。
で、まぁ、単純に考えたら、パクり許せん!!駄作じゃ!!という感想になるのが
当たり前だったりするんだけど、(私もいったん感じた)
今回なぜそう許せないと感じるのか?その奥にある感情が分かったので
詳しく書いてみる。
そいで、それが分かったら
この「亡念のザムド」の作り手の感覚みたいなものも理解できたのでそれも紹介。
例えば、
「亡念のザムド」のヒロインが、小型の1人のり飛行機みたいなものを
空中でホバリングさせたあと、上に向かうシーンがある。
それ、ナウシカを何回も見てて、みる人が見たら、
おんなじだ。
と感じるのです。
アニメというのは人間が作るもので、
しかも、1秒に何十枚、という制限の中、
実写であればA地点からB地点に行く、という動きの全てを
フィルムの中に入れられるところが、
アニメでは
動きの中の、ここと、この動きと、この角度、という風に
取捨選択して選んでいくわけなので
そこに、その作り手のセンスなりこだわりなり、その作品への世界観や哲学がにじみ出るわけです。
で、受け手は、無意識に作品を好きになると同時に
作り手のその取捨選択が好きだと感じるわけです。
で、その取捨選択って。
ものすごーーーーーーーーーーーい
努力と 試行錯誤と 挑戦と 失敗と
修正と 再挑戦の結果
なワケですよ。
これはクリエイションしたことある人なら分かる。絶対。
で、それを、
自分のオリジナルなモノの何の積み重ねもなしに
サクッと他人が使っていいのかって話です。
分かりやすく例えれば、
宮崎駿さんが今まで生きてきた中で自分がよいと感じたもの、AからXまでを
ミックスして取捨選択して、新しい「あ」という表現を作り出しているとしたら
(これを受け手は好きだと感じてファンになる)
「亡念のザムド」は
ここはA:ナウシカ、ここはC:ラピュタ、ここはV:エウレカ、というように
そっくりそのまんま借りてきてパーツパーツで使い分けてるだけ、ということ。
オリジナルの取捨選択や構築にあえいだことがある人は、
それがどれだけの苦労かが分かるので、
そのままを借りているという行為が、パクりじゃん!!(怒)と許せなくなるのだと思う。
たとえば
宮崎駿さんは、自分の企画を通すまでに13年かかったと聞いたことがある。
自分のセンスを思う存分出すまでに13年。
それに対して、リスペクトはないんか!??!
ちゅーことです。
でね、
センスとパクり、ナウシカとザムドの違いが分かったらね、
「亡念のザムド」の作り手の感覚が理解できた。
たぶん、「亡念のザムド」の作り手の人達って
うかつ、なんだと思う。
そして、浅い。
あの、飛行機がホバリングしてから上に行くワンシーンに
これだけのクリエイターの結晶が埋まってるってことが分かってないんじゃないかナァ。
単純に、ジブリが大好きで、エウレカでの経験も楽しくて、
大好きなもの全部使って作品つくっちゃおう!!
みたいな。
無邪気に、模倣で作品作っちゃった!!
みたいな。
でも借りもののパーツでオリジナルっぽそうなものを伝えようとしてるから
ぜんぜん分かんないわけです。
オリジナルが未消化なまま、パーツで説明。
さらに目に見えるものは借りモノだから新鮮味もなく。驚きもなく。
でね。
そういうことが分かったので、怒りとかはなくなって
あ、そう、ははは。は。ってなんか虚脱しちゃったよ。
無邪気なパクりに怒っても仕方ないべ。
もし悪意の儲け心だとしても、
【 この作品はつまらない もしくは残念 】 という私の中の結果だけは
さんぜんと輝いているので同じことです。
絵や動きがハイクオリティだからってオリジナルか、深いか、とは限らないのだ。
なぜその絵や動きを選んだか、の方が
伝えるためにはとても大事。(=表現の肝)
+++++++++++++++++++++++++++++++++
追記:
上の点で、残念だしつまらないなーとは思うけど、
サントラはよいです!
オープニングもエンディングも曲はハイクオリティ。
どっちも好きでした。
あと、アニメの色彩の使い方のセンスなんかはイカしてますv
キャラの顔造詣もうまいし。
あぁ〜だから、あれかね、絵がダントツにめっちゃ好きな監督なのかなぁ。
世界観とストーリーセンスが借りモノ、という点だけが、残念す。
エンタメニュースで、アカデミー賞の映像が流れてたんだけど
もー本当に、心底
人はそれぞれダイアモンドだ。と思った。
だって、プレゼンターに
偉大な俳優(ロバートデニーロとかアンソニーホプキンスとか)が立っているのを見たり、
主演女優賞候補に挙がっているのが
好きな女優さんばっかりだったりするのを見ると、
どれが一番とかじゃないじゃん?
みんな素晴らしいじゃん!
自分の趣味嗜好があったって、
候補に上がってくる人達がそれぞれすごいということには変わらない。
だって、彼らは自分自身を、
自分自身の核を、オリジナルさを、ユニークさを、魅力を、
ひたすら磨いてきたのだ。
みんなピカピカやん!!
そして、それがどれだけすごい大変なことかも分かる。
だから、なおさら、受賞した人達が感動で震えるのを、喜びであふれているのを見ていて
こっちも感動してうるっとしてしまった。
めちゃくちゃ嬉しい、ということは、
それだけ大変な道のりがあった、ということだから。
しかもハリウッドやアメリカのエンターテイメント業界のエグさとか、
プライバシーのなさとか、誹謗中傷嫌がらせ、そういうものも全部乗り越えて。
ひたすら良い作品に努力を捧げていて。
逆転の発想じゃないけど、
日本のアカデミー賞が盛り上がらないのは、
日本の製作現場が結構良心的だったり、仲間内のぬるま湯的なものもあるから
感動も少ないんじゃないのか。とか
うがって見てしまったわん。
どっちが良い悪い、優れている劣っている、進んでいる遅れているとかじゃなくて、
アメリカと日本がそういう個性・風土だということ。
めちゃ激烈なつぶしあいがあるけど、生き延びた時、感動に震えられます。ってのと
スペースは確保されてて平和だけど、作品作る時に妥協がおきやすいです。ってのと
どっちが好み?ってこと。
上は争いが起こる危険がいくらでもあって神経すり減らしそうだし
下は平和だけど個性を磨きづらいですな。
うーむ。
でもまぁそれぞれに、
その風土を生かしたままマイナス面を減らせる方法はあると思うけどね。
もー本当に、心底
人はそれぞれダイアモンドだ。と思った。
だって、プレゼンターに
偉大な俳優(ロバートデニーロとかアンソニーホプキンスとか)が立っているのを見たり、
主演女優賞候補に挙がっているのが
好きな女優さんばっかりだったりするのを見ると、
どれが一番とかじゃないじゃん?
みんな素晴らしいじゃん!
自分の趣味嗜好があったって、
候補に上がってくる人達がそれぞれすごいということには変わらない。
だって、彼らは自分自身を、
自分自身の核を、オリジナルさを、ユニークさを、魅力を、
ひたすら磨いてきたのだ。
みんなピカピカやん!!
そして、それがどれだけすごい大変なことかも分かる。
だから、なおさら、受賞した人達が感動で震えるのを、喜びであふれているのを見ていて
こっちも感動してうるっとしてしまった。
めちゃくちゃ嬉しい、ということは、
それだけ大変な道のりがあった、ということだから。
しかもハリウッドやアメリカのエンターテイメント業界のエグさとか、
プライバシーのなさとか、誹謗中傷嫌がらせ、そういうものも全部乗り越えて。
ひたすら良い作品に努力を捧げていて。
逆転の発想じゃないけど、
日本のアカデミー賞が盛り上がらないのは、
日本の製作現場が結構良心的だったり、仲間内のぬるま湯的なものもあるから
感動も少ないんじゃないのか。とか
うがって見てしまったわん。
どっちが良い悪い、優れている劣っている、進んでいる遅れているとかじゃなくて、
アメリカと日本がそういう個性・風土だということ。
めちゃ激烈なつぶしあいがあるけど、生き延びた時、感動に震えられます。ってのと
スペースは確保されてて平和だけど、作品作る時に妥協がおきやすいです。ってのと
どっちが好み?ってこと。
上は争いが起こる危険がいくらでもあって神経すり減らしそうだし
下は平和だけど個性を磨きづらいですな。
うーむ。
でもまぁそれぞれに、
その風土を生かしたままマイナス面を減らせる方法はあると思うけどね。
「 世界でひとつだけの花 」が聞きたくて、
はじめてSMAPのCDをレンタル。
で、最初「 世界で〜 」だけを繰り返し聞いてたけど、
途中から通しで聞いてみた。
うーん、唸ってしまう。
今まで、アイドルの歌唱力というものに不満を抱いていたから
すごく先入観が合って
ぜんぜん聞いてみようとしたことがなかったんだけど、
すごいな。SMAP。
曲のメッセージが、すごくクリアに届くのだ。
もちろん、すごい才能のある人達の楽曲提供を受けているから
曲自体の力があるんだろうとおもうけど、
それが、よどみなく、ストンと
自分の耳と心に届くのだ。
これって、歌詞を
本当に自分というものを消して
素直に歌ってないと出来ないのではないかと思う。
そして、自分というものを消して、
素直にアイドルとしてのクリアさを保っている、というそのことに
彼らの【ものすごい強さ、鍛錬してきた強さ】を感じる。
だってさー考えてみて?
彼らが30そこらになるまでに
下積みから、売れるまで、そして売れている現在でも、
芸能界で大変なこと、やさぐれてしまいたくなるようなことは
めちゃくちゃあるはずで。
それを、きちんと消化して、(しないと生き残れないけど)
なおかつ、きちんと光の部分を保っているからこそ、
自分のことをクリアにできるんだと思うのだ。
自分の得てきたつらさ苦しさ悲しさを、きちんとプラスに変換してきたからこそ、
プラスのメッセージづくしである曲のメッセージを
すなおにひっかからずに歌えるのだと思う。
( だって、自分に恨みつらみがある状態で「君が好きだよー」とか
「人生はステキだー」とかは歌えないっしょ?(笑) )
じゃあ、もし心の底からのものではなく
演技だとしたら?
演じているピュアさ・クリアさだとしたら?
それでも、
ものすごい努力のすえの【強さ】という点では同じであろう。
中居君あたりは、自分の経験からの独特の腹のくくり方がありそうだが、
それだって、ものすごく強くあろうとしなきゃ、そして実行していなきゃ
舞台やライブやTV活動なんて公に出来ない。
そこに、ひとりの人間の、すごい努力と底力を感じる。
もーホントにあやまっちゃう。
今まで、アイドルに対してはたいがい
”あーもう歌ヘタだなぁもう(怒)”とか思ってたけど、
アイドルってホントに大変な仕事だよ。
クリアでなくちゃメッセージなんて歌えない。
夢を見たい人達を楽しませたり出来ない。
クリアで居続けることが、アイドルの必須条件だ。
それはミュージシャンもそうかもしれないけど、
専門職に比べて、姿かたちから入ってくるアイドルは、
最初、表のかっこよさから惹かれて、夢を投影しているようなお客さんたちに、
ずっと夢を与え続けられるだけのクリアさ、を保っていなきゃならない。
しかも、自分に音楽や演技の飛びぬけた才能は装備されていないのに。
誰も本当の自分などにかまってくれはしない。
自分でやるしかない。
そこから、
自分がきちんと光を見つめられるだけの強さを、
「世界〜」のようなメッセージを届けられるだけの強さを
身につけるまでに、
どれだけの逡巡や苦悩や煩悶があったのかなぁ。。と思うと、本当に頭が下がるわ。
すごい。ホントに。
先入観を壊してくれたSMAPに感謝。
はじめてSMAPのCDをレンタル。
で、最初「 世界で〜 」だけを繰り返し聞いてたけど、
途中から通しで聞いてみた。
うーん、唸ってしまう。
今まで、アイドルの歌唱力というものに不満を抱いていたから
すごく先入観が合って
ぜんぜん聞いてみようとしたことがなかったんだけど、
すごいな。SMAP。
曲のメッセージが、すごくクリアに届くのだ。
もちろん、すごい才能のある人達の楽曲提供を受けているから
曲自体の力があるんだろうとおもうけど、
それが、よどみなく、ストンと
自分の耳と心に届くのだ。
これって、歌詞を
本当に自分というものを消して
素直に歌ってないと出来ないのではないかと思う。
そして、自分というものを消して、
素直にアイドルとしてのクリアさを保っている、というそのことに
彼らの【ものすごい強さ、鍛錬してきた強さ】を感じる。
だってさー考えてみて?
彼らが30そこらになるまでに
下積みから、売れるまで、そして売れている現在でも、
芸能界で大変なこと、やさぐれてしまいたくなるようなことは
めちゃくちゃあるはずで。
それを、きちんと消化して、(しないと生き残れないけど)
なおかつ、きちんと光の部分を保っているからこそ、
自分のことをクリアにできるんだと思うのだ。
自分の得てきたつらさ苦しさ悲しさを、きちんとプラスに変換してきたからこそ、
プラスのメッセージづくしである曲のメッセージを
すなおにひっかからずに歌えるのだと思う。
( だって、自分に恨みつらみがある状態で「君が好きだよー」とか
「人生はステキだー」とかは歌えないっしょ?(笑) )
じゃあ、もし心の底からのものではなく
演技だとしたら?
演じているピュアさ・クリアさだとしたら?
それでも、
ものすごい努力のすえの【強さ】という点では同じであろう。
中居君あたりは、自分の経験からの独特の腹のくくり方がありそうだが、
それだって、ものすごく強くあろうとしなきゃ、そして実行していなきゃ
舞台やライブやTV活動なんて公に出来ない。
そこに、ひとりの人間の、すごい努力と底力を感じる。
もーホントにあやまっちゃう。
今まで、アイドルに対してはたいがい
”あーもう歌ヘタだなぁもう(怒)”とか思ってたけど、
アイドルってホントに大変な仕事だよ。
クリアでなくちゃメッセージなんて歌えない。
夢を見たい人達を楽しませたり出来ない。
クリアで居続けることが、アイドルの必須条件だ。
それはミュージシャンもそうかもしれないけど、
専門職に比べて、姿かたちから入ってくるアイドルは、
最初、表のかっこよさから惹かれて、夢を投影しているようなお客さんたちに、
ずっと夢を与え続けられるだけのクリアさ、を保っていなきゃならない。
しかも、自分に音楽や演技の飛びぬけた才能は装備されていないのに。
誰も本当の自分などにかまってくれはしない。
自分でやるしかない。
そこから、
自分がきちんと光を見つめられるだけの強さを、
「世界〜」のようなメッセージを届けられるだけの強さを
身につけるまでに、
どれだけの逡巡や苦悩や煩悶があったのかなぁ。。と思うと、本当に頭が下がるわ。
すごい。ホントに。
先入観を壊してくれたSMAPに感謝。



